結婚も出世も愛人のために
私の結婚は愛人の為の結婚だった。
たとえデリヘル嬢との恋愛であろうが、恋は盲目とはよく言えたものだ。別れ話で愛華に言われた「女ではなく自分のために出世するような男でいて欲しい」その言葉を胸に刻み、彼女の言う〝男〟になれたなら愛華を真の意味で自分のものにできると信じた。――上海から帰国した私は成田経由で新千歳空港へと向かった。道中……とにかく1秒でも早く、愛華に会いたい気持ちだけがあふれてくる。成田からの乗り継ぎ便を待つ間、駐機してるジャンボを眺めながら、「ジャンボ機をポンと買えるほどの金持ちだったらなぁ……時間気にせず札幌に行くんだけど」なんて妄想しながら、愛華のために買ったばかりの指輪を何度も何度も握りしめていた。
「小さな黄色の手紙」に書いてあった電話番号に連絡すると、会う約束を取り付ける。待ち合わせた場所は彼女の行きつけのイタメシ屋。
買ったばかりの指輪とは……プロポーズの指輪だった。私は照れながら指輪を差し出し、やにわに結婚を申し込んだ。
「………」どのくらいの沈黙だっただろうか、愛華はこう切り出した。
「義男ちゃんとは結婚できないよ、だって‥無理だよ」
彼女は本当に困惑してしまったような表情で指輪を見つめていた。
結局、無理な話だったのかもしれない。なぜなら私は、彼女の好きな食べ物や最近見た映画どころか、出身地や本名すら知らない。それは彼女も同様だ。知っているのは「デリヘル嬢」と「お客」という二人の関係性の事実のみ。
事実をくつがえすかのように「結婚するって相手の経済力や信頼関係だったり愛情だったり価値観だったり……でもね、今の俺には愛華が必要なんだ!」惚(ほ)れてしまった勢いだけでプロポーズの根拠を口走る私。
「こうして会いに来てくれた義男ちゃんは、別れてから時間が流れて出世もしたかもしれない、でも、私は何も変わってないし、これからも変わらないと思う。だから、無理なの。義男ちゃんのお嫁さんになるのは……」
「じゃ、愛華も変わろうよ!デリヘルなんて仕事辞めて他の環境も全部変えてさ!」
「義男ちゃんは、今の仕事辞めて環境変えて、すぐにお金持ちになれると思う? 大好きな仕事辞められる? 現実をもっと見てよ。自分ができないことを人に押し付けないで!」
私は今の仕事が…いや、大企業に勤めているという自分のステータスが大好きだった。企業のブランドを身にまとい、思う存分仕事ができて同期の中でも年収が1番高い。このまま20年も勤めれば部長、もしくは最年少取締役ぐらいにはなれるだろう。一方でこの会社を辞めれば今の給料やステータスはあっという間に消えてしまうに違いない。
愛華の言うとおりだ…私は、自分にできないことを彼女に強要していた。
「義男ちゃん、願いだからもっと自分を大切にして生きて。そして今以上に出世して。それはあたしの為じゃなくて自分のために!」
「じゃあ、俺が社長にでもなれば結婚してくれるのか?」
「それが義男ちゃんの答えなら、そのときまた真剣に私なりに考えるよ」
――愛華は少しあきれ気味に言った。
「分かった。30歳までに必ず社長になって愛華を嫁さんにする。何不自由の無い生活ができるようにして、何でも買ってあげられるような金持ちになってやる。それまで愛華とは会わないことにする。」
「私は待ってるとは約束しないよ。それまでに好きな人ができて結婚してるかもしれないし、まだ1人かもしれない。それは誰にもわからないことだから……」
この言葉で何かが変わる予感がした。
この言葉で何かを急がねばと思った。
この言葉で。
上海に戻った私は、激しい恋着にいつもグラグラ揺れながら仕事に没頭した。それまで「通訳がいつんだから」と怠っていた北京語の学習も、寝る間も惜しみながら頑張った。
その全ては、出世のため、そして愛華との結婚のために。
上海プロジェクトの成果が少しずつ形となった頃、本社の常務が日本からやってきた。我々に対する成功の激励とともに、私に縁談を持ってきたのだ。相手は取り引き会社の専務の一人娘。私はどんなことをしても手に入れたい出世の2文字を、手中に収めるべく、常務の持ってきた縁談を二つ返事で了承した。縁談相手は現在の私の妻である。
愛華という女性と結婚したい。それには出世することが必要。常務の持ちかけた縁談を受け入れることは出世に直結する話でもある。だから、その女性と結婚する……
他の女性と結婚したいから結婚した現在の妻。私は愛の悪魔に心を売るために真っ黒な婚姻届に誓いのサインをした。とにかく結果が欲しかった、どんな手段を使ってでも、誰かをだましてでも。今でもその判断は後悔していない。だって、愛華が「好きだよ」って言ってくれるから。
さて、時は流れて私は愛してもいない取引先の娘と結婚し、出世もし、そして独立して社長となった。
ビジネスで関わる他の社長たちは、高級車に乗りめちゃくちゃに美人の敏腕秘書を連れながら、さっそうと私の前に現れるが……。私といえば、線路を走るリムジン通勤(電車)とiPadが敏腕秘書代わり……。
しかしながら、電車の方が時間が読めるし、経済的だし、iPadは文句を言わないし…。でも、社長らしくなく現場のリーダー的な行動形態であることの最大の理由は、街中にはビジネスのヒントが散らばっているからである。
知人の社長たちを批判するつもりはないが、高級車の後部窓から眺める風景から得られるビジネスヒントはきっと限られたものでしかない。自分の足で歩き、街の表情を目で見て、都会の雑踏を肌で感じ、誰かのくだらない会話にも時折、耳を澄ましています。
そこから得たヒントが、やがてビジネスモデルとなり、会社の業績を発展させるのです。こんな私に対して、「数億円稼ぐ経営者が電車で来るなんて、ある意味示しがつかない」と指南する社長さんも居ますが、そういう人に限って、表向きだけを大切にするんですよホントに。
一企業の経営者ともなれば、想像を絶する過酷なスケジュールで一日が始まり、そして一日が終わってゆく。金融関係者・業界人・クライアント・役人・異業種の方々…時には、様々なパーティー等を掛け持ちして交流を深めることもしばしば…。
営業だって、打合せだって、交渉だって時と場合を選ばせない毎日。正直、肉体的疲労がたまるのは必至なのです。でも、自分で手に入れ、自分で選んだ道なので後悔はしていません。むしろ、過酷さを自ら楽しんでいます。
愛人との付き合い方について、私は必ず彼女たちを年に数回の海外旅行に連れて行くようにしている。理由は、愛人としている以上、彼女たちは人生にリスクを背負っているに違いない。おそらく愛人という属性で人生の貴重な時間を消費することは視点を変えれば〝不利益〟な時間であるはずです。
それに対して金銭とか海外旅行とか、そういうもので可能な限り利益を得て欲しいと思うからです。それに、日本に居る間は堂々とできない関係でも、誰も私たちの関係を知らない海外では、堂々と街中をあるこことができる。つまり不倫の後ろめたさが海外では免除される感覚に陥るのです。
加えて、彼女たちには多くの世界に触れ、多くの思い出と共に「私」という存在を印象付けてほしい。いずれ終わってしまう関係であっても、今を充実させたいから……。
現在、愛華という女性と出会ってから10年という歳月が流れました。私にとって彼女は、太陽のような存在です。そして、愛人ではなく恋人です。明るく照らしてくれたり、暗闇の中に取り残したり。本人はそんな気、サラサラないようですが、でも感謝しています、この先も、ずっと。